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国民のくらし

(1) 「鉄と銅をお国の為に」 ・戦争資源としての鉄と銅の供出を呼びかけるチラシ。一般家庭から供出していただきたい生活用品やその買い上げ価格などが示されている。

(2) ポスター ・「全生活挙げて戦力増強へ」日々の生活のあらゆる部分で困難に耐え、増産、努力することを強いているポスター

(3) 統制物資配給一覧表(一)京都市 ・京都市の物資配給一覧表。上部には食料品、燃料、繊維製品の名前などが記されており、大部には購入票交付申請手続きはどこを通して行うかも記されている。裏面には物資配給一覧表の続きと、購入票交付申請書の様式が複数記入されている。

(4) 宝塚少女歌劇5月大劇場花組公演パンフレット

(5) 「少年倶楽部」 第32巻4号

(6) 学童集団疎開給食日誌(平和のための京都の戦争展寄託) ・嶺松寺寮、光福寺寮(1945.6-8)「六月十五日」給食人数生徒 五十六人 職員其他 三人 朝 みそ汁 献立 昼 漬物 晩 野菜煮 米 一斗一升五合 豆 三升 *米が足りないので、豆を混ぜたごはんであった。

(7) 作業日誌 ・京都帝国大学文学部から学徒出陣で海軍予備学生となり基礎訓練中だった岩井忠熊氏が、武山海兵団で記したもの。「学生隊の生活は苦のせいかつなり。されど最近漸く苦の中にも楽を見出し得る心境になれリ」との記述に、教官が「さらに努力せよ」と返している。

(8) 東京市内を行進する産業報国青年隊(撮影/梅本忠男)

(9) 女子挺身隊員(撮影/梅本忠男)

中国との戦争が全面化すると、国民は戦争のために経済的な協力を求められ、生活はいっそう切り詰められていきました。自由に物が買えなくなり、味噌・塩・野菜・魚なども配給制になりました。税金だけでは戦費が賄えないので、国民は戦争のための国債を買わされ、貯蓄を強制されました。また、「献納」といって、国民が軍隊に武器をおくる運動が進められ、金属製品はすべて兵器生産のために差し出すことを求められました。企業と労働者は一丸となって「産業報国運動」に取り組み、戦争のために働きました。労働組合は許されなくなり、新聞・映画・音楽なども戦争一色に塗りつぶされていきました。女性たちも「女子挺身隊員」として軍需工場に送り込まれました。空襲の危険が高まると、被害の拡大を防ぐために建物は間引かれ、防空活動の足手まといになる子どもたちは疎開させられました。