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植民地の独立と冷戦-朝鮮戦争

(1) 朝鮮戦争当時のアメリカ空軍のつなぎ服とライフジャケット

第2次大戦が終わると、アメリカを中心とする資本主義諸国とソ連を中心とする社会主義諸国の間に日常的な対立構造が作られ、冷戦構造と呼ばれました。植民地では独立を求める動きが活発になりましたが、アメリカとソ連による冷戦が、植民地の独立にも影を投げかけました。その一つの例が朝鮮半島でした。第2次大戦後、アメリカとソ連が38度線の南北を分断統治し、朝鮮半島は韓国と北朝鮮に分断されました。1950年6月、ソ連に支持された北朝鮮が南に攻め込んで朝鮮戦争が始まり、アメリカや中国も参戦して大規模な戦争に発展し、数百万人が犠牲になりました。1953年に板門店で休戦協定が結ばれましたが、未だに講和条約は結ばれていません。
一方、日本では、朝鮮戦争に送られたアメリカ軍に代わって基地を守るために、自衛隊の前身である「警察予備隊」が慌しくつくられました。日本政府は社会主義国を除く48カ国と「サンフランシスコ講和条約」を結び、同時に、アメリカ軍が引き続き日本に留まることを認めた「日米安全保障条約」も締結し、再軍備の道を歩みだしました。敗戦によって落ち込んでいた日本の経済は、アメリカ軍への物資やサービスの供給が増えて活気づきましたが、これは「朝鮮特需」と呼ばれました。朝鮮半島ではその後も南北分断を克服する努力が続けられてきましたが、未だに緊張が続いています。