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立命館と一五年戦争  

(1) 立命館禁衛隊大旗

(2) 入隊所感 ・学徒出陣により、1943年12月臨時徴収を受け中部第43部隊に入隊した初年兵の所感を綴ったもの。81名分あったが、現存するのは75名分。立命館大学、同志社大学、慶應義塾大学ほかさまざまな学校の学生が執筆している。

(3) 仮修了証書 ・立命館大学予科1944年9月修了見込み、学徒出陣に際してのもの。第75号。右上、左下には立命館大学の印が押してあり、左上に割り印が押される。

(4) 1937年春、皇太后の京都御所滞在中、門を警備している立命館禁衛隊 (出典:『立命館商業学校 卒業アルバム 1939(昭和14)年』所蔵:立命館 史資料センター)

(5) 1937年12月、南京陥落の祝賀行進をする立命館禁衛隊 (出典:『立命館商業学校 卒業アルバム 1939(昭和14)年』所蔵:立命館 史資料センター)

立命館の前身は1900年に設立された「京都法政学校」で、1913年に立命館大学と改称されました。戦争の時代になると1933年の京都大学滝川事件や1935年の美濃部達吉の「天皇機関説」に対する批判などを通じて、大学に対する軍国主義的なしめつけが厳しくなっていきました。すでに立命館大学は、1928年に昭和天皇の即位の式典が京都御所で行われたとき、「立命館禁衛隊」という武装部隊を組織し、御所の警備に当たりました。天皇から与えられた禁衛隊の旗が展示されていますが、1941年には大学に国防学研究所を設立し、陸軍中将の石原莞爾を初代所長にすえ、国防講座を開きました。学生たちは学徒出陣によって卒業を待たずに戦場に送られ、命を失った学生も少なくありませんでした。また、軍需工場に動員され、そこで被災した学生もいました。戦後の立命館大学は、こうした戦争の時代の悲痛な経験への深い反省から再出発することになります。