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抗日活動

(1) 中国敵後解放区概況 ・1944年10月 日本軍の侵攻にたいして、抗日のための根拠地がどのように拡大しているかを分析したもの。1944年、共産党が支配する延安で書かれた。

(2) 胸章(平和のための京都の戦争展寄託) ・「打倒侵略中国的日本人」と書いてある。

(3) 日本兵上吊 ・1人の日本兵が中国人への残酷な仕打ちに耐えられず、故郷の家族の悲惨な状況を知って自殺を図るが、反戦運動にかかわる僚友に助けられ、「敵は日本の軍閥だ」と悟り、ともに反戦運動に参加する、といった筋書き。連環画といわれる絵読み物。

(4) 捕虜になった日本軍兵士に、演説をする鹿地亘。(提供/瀬口允子)

アジアの人々は、日本の侵略行為とそれに続く専制的な支配にたいし、粘り強く抵抗し、戦いました。日本軍は抵抗する人びとを武力によって弾圧し、日本の支配に協力する人びとを作ろうと試みましたが、支持を集めることは出来ませんでした。当時「満州」と呼ばれた中国東北部では、1933年ごろから共産党の指導の下で抵抗運動がまとまり、根強い抵抗を続けました。朝鮮国内では労働者や農民が抗日運動に立ち上がり、国境を接する「満州」地方で抗日武装闘争に参加する人もいました。中国の人々は日本軍の侵攻に民族的自覚を高め、国民党と共産党が統一して日本に抵抗しました。中には、文学や絵画や寸劇や歌などの形をとった抵抗運動もありました。人々の抵抗は東南アジアでもさまざまな形で展開されました。ビルマでは、戦争末期には日本軍が組織したビルマ国民軍も日本に対して武装蜂起しました。これらの抗日運動は、連合軍の反撃とあいまって、日本の支配を終わらせる力になりました。