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立命館と一五年戦争
立命館の前身は1900年に設立された「京都法政学校」で、1913年に立命館大学と改称されました。戦争の時代になると1933年の京都大学滝川事件や1935年の美濃部達吉の「天皇機関説」に対する批判などを通じて、大学に対する軍国主義的なしめつけが厳しくなっていきました。すでに立命館大学は、1928年に昭和天皇の即位の式典が京都御所で行われたとき、「立命館禁衛隊」という武装部隊を組織し、御所の警備に当たりました。天皇から与えられた禁衛隊の旗が展示されていますが、1941年には大学に国防学研究所を設立し、陸軍中将の石原莞爾を初代所長にすえ、国防講座を開きました。学生たちは学徒出陣によって卒業を待たずに戦場に送られ、命を失った学生も少なくありませんでした。また、軍需工場に動員され、そこで被災した学生もいました。戦後の立命館大学は、こうした戦争の時代の悲痛な経験への深い反省から再出発することになります。