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京都と戦争
京都府内には、伏見に陸軍、舞鶴に海軍が置かれました。「一五年戦争」期には中国やフィリピンに送られ、陸海軍あわせて約55000人の京都府出身の兵士が命を落としました。京都にはもともと陸軍の16師団が置かれていましたが、日中戦争からアジア・太平洋戦争期にかけて新たに編成された師団も沢山ありました。京都市内の16師団の司令部跡は、現在、聖母女学院の本館として使われていますが、福知山では将校の集会所が史料館として使われるなど、当時の戦跡の一部は今も残っています。また、舞鶴には海軍関係の建物が数多く残っている外、海軍病院は国立病院に、また、陸軍病院は赤十字病院になっています。