飛行兵と母
1940(昭和15)年~1945(昭和20)年か

少年飛行兵が母に向けて書いたもの。花柄の模様の入った絹地に、飛行兵としての意気込みと、母への思いがつづられている。少年飛行兵は20歳以下の志願者の中から選抜されて、陸軍の航空関係学校で専門教育を受けた。航空特攻作戦には少年飛行兵出身者も多く動員された。

7年前、修学旅行で訪れた沖縄慰霊碑(いれいひ)の前で、自分の書いた平和宣言が読み上げられたとき、自分に出来ることはとても小さいなと感嘆したことを今でも思い出します。ただ平和を祈ることしかできない自分に憤慨(ふんがい)し、非力な私ができることを探して、学生スタッフ活動を始めました。
活動を始めてから、全国各地の資料館を訪れました。その中でも鹿児島県の知覧(ちらん)特攻平和会館で見た、特攻兵の残した手紙には身が引き締まる思いがしました。私が戦争の歴史に関心を持ったきっかけが「特攻」だったこともあり、今回この資料を選定させて頂きました。
作戦により戦禍に散った若者たちの想いを、私たちは伝え続ける責務があると考えています。
平和を創るのは国家でも国連でもなく、一人一人の意識です。戦争の過去を知り、受けた被害のみならず加害責任にも目を向けて、多角的な視点を持って平和を考え続けることが、今の日本人に求められていると強く思います。

ミュージアム学生スタッフ 中上彩奈

参考資料

参考資料:予科練習生として土浦航空隊に入隊する少年
国際平和ミュージアム梅本忠男写真集

土浦航空隊は海軍の教育部隊で、航空機搭乗員の養成を行った。予科練習生(海軍飛行予科練習生)は14歳半から17才までの志願者の中から選抜され、海軍の航空関係学校で専門教育を受けた。