地図:CITY OF KYOTO
KYOTO PREFECTURE HONSYU JAPAN

大塚隆コレクション 1948(昭和23)年

1/5000の京都市都市計画図に、接収(せっしゅう)された建物・住宅が図示された18面の地図。米軍第207マラリア調査派遣隊によって製作された。接収された個人住宅にはアルファベットと番号がふられ、市や企業などが所有した建物は黒く塗(ぬ)られ、建物を利用した部署の名前が付記されている。現在の岡崎公園、植物公園一帯は主に進駐軍家族の居住地となっていた。

この地図自体は報告書「MOSQUITO FAUNA of JAPAN and KOREA:207th Malaria Survey Detachment.」の作成に伴う資料で、同書は進駐軍の駐留(ちゅうりゅう)にあたり、蚊(か)が媒介(ばいかい)する病気について行われた疫学調査の報告資料である。墓地やため池、防火用水にたまる水や牛馬小屋と併設された家屋など、いかにも不衛生な環境として報告されている。

英語表記のされた京都市街の地図で、敗戦後連合国軍の駐留(ちゅうりゅう)にともない接収(せっしゅう)された旧軍関係施設や個人の住宅を示しています。
75年前の1945年から1952年の約6年間、日本は連合国軍によって占領されていました。京都には、現在は商業施設(COCON烏丸)になっている建物に米軍を中心とした第8軍司令部がおかれ、西日本における占領統治政策の中心を担っていました。この地図は私たちの暮らす京都の町にも外国の軍隊がいて占領されていたことを如実(にょじつ)に物語っています。それは翻(ひるがえ)って15年戦争中に日本がアジアの国々に対して行った占領行為を考えることにつながるのではないでしょうか。一方で、京都に進駐軍(しんちゅうぐん)がいなくなった後も1972年まで米軍統治下にあった沖縄や、駐留した軍隊によってそこが朝鮮戦争、ベトナム戦争の前線基地となったことなど、終わらない戦後を見つめるきっかけにもなります。
武器をもって命のやり取りをすることだけが戦争ではなく、戦争の結果引き起こされることが何なのか。一枚の地図が、平和ミュージアムが収蔵するたくさんの資料とともに伝えています。

学芸員 田鍬美紀

参考資料

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