アカデメイア立命21
立命館大学は、21世紀への飛躍を目指す学園創造のために、学術・文化・国際化の発信基地として1992年にアカデメイア立命21を建てました。本館には「国際平和ミュージアム」(地下1階・1階・2階)の他に、「孔子学院」(3階)、立命館大学教員の個人研究室(3階・4階)が配置されています。
1992年5月19日、「立命館大学国際平和ミュージアム」として開館。立命館大学の「平和と民主主義」の教学理念を具体化する教育・研究機関として、また社会に開かれ、発信する社会開放施設として開設された。2005年に第1期展示リニューアルを行い、国際平和メディア資料室を新設。2021年より第2期展示リニューアル工事を行い、2023年9月にリニューアル開館。地階と2階に分かれていた常設展示を、地階に統合し、施設設備についてもユニバーサルデザインに配慮したものに改装。新たに2階に主体的な学習や資料の閲覧が可能なピースコモンズを新設した。
施設名 | アカデメイア立命21 |
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施設 | 地階 1.662.85㎡ 1階 1.616.43㎡ 2階 1.445.34㎡ |
沿革 | 1992年5月: 立命館大学の「平和と民主主義」の教学理念を具体化する世界初の大学立の平和博物館として開設 2005年2月: 博物館相当施設に指定 2005年4月: 国際平和メディア資料室を開設 2023年9月: 「戦争の記憶を共有する」「平和創造の場とする」「平和創造を支える調査研究活動の拠点となる」を基本コンセプトに常設展示リニューアル |
展示内容 | 常設展示では、戦争記憶と平和を求めた歴史から未来の平和のあり方を考える大きなタイムライン(年表展示)と、将来を考えるヒントを見つけ、視点を深める4つのテーマ展示および、見学者が自ら思考し発信(アウトプット)また、他者の思考を共有する問いかけ展示で構成されています。実物資料210点を展示。総文字数85,000字。映像資料やシアターを設置。戦時中の民家を復元しています。現在収蔵資料約46,000点。 |
事業 | 特別展、講演会、シンポジウムや文化企画を開催。紀要・ミュージアムだよりの刊行。HPで検索可能なデータベースを公開。ミュージアムグッズも販売。 |
備考 | 周辺には、平野神社、北野天満宮、金閣寺、等持院、竜安寺、仁和寺など観光名勝が多数ある。 |
立命館大学は、21世紀への飛躍を目指す学園創造のために、学術・文化・国際化の発信基地として1992年にアカデメイア立命21を建てました。本館には「国際平和ミュージアム」(地下1階・1階・2階)の他に、「孔子学院」(3階)、立命館大学教員の個人研究室(3階・4階)が配置されています。
「わだつみ」とは、「わたのかみ」と同義で「海をつかさどる神」を意味します。「わだ(わた)」は朝鮮語の「パタ(海)」に由来します。
1949年10月20日、東京大学協同組合出版部から『きけわだつみのこえ』という戦没学生の手記が刊行され、広く普及されました。「わだつみ像」はこの刊行収入をもとに戦没学生記念会(通称「わだつみ会」)が計画したもので、本郷新氏の作品です。当初、東京大学構内に設置する予定でしたが、朝鮮戦争さなかの1950年12月4日に評議員会が拒否、その背景には日本を占領していた連合軍の意向も働いたと言われています。東大では「わだつみ像設置拒否反対集会」が開かれましたが、結局、設置場所は定まらず、「わだつみ像」は本郷氏のアトリエに置かれることになりました。1951年、立命館大学の末川博総長が「わだつみ像」を引き受ける意思を表明したことをきっかけに、学内外からの強い支持も寄せられ、1953年12月8日、太平洋戦争開戦の記念日に立命館大学での建立除幕式を迎えるに至りました。翌1954年からは、12月8日前後に「わだつみ像」の前で「不戦のつどい」が開かれるようになり、立命館の伝統行事として今日まで続いています。
1階ラウンジの東西壁面には、故手塚治虫氏が、宇宙にみなぎる生命とその摂理の中で、精一杯生きていく生きものたちの賛歌をうたいあげた「火の鳥」の壁画を展示しています。これは、手塚氏が「火の鳥」に込めた恒久平和の願いと、国際平和ミュージアムがめざす平和実現への決意には共通したものがあることから展示しています。東壁面の「火の鳥」は「過去」を表し、戦禍による人類の未曾有の苦しみと悲しみを語り、また西壁面の「火の鳥」は「未来」を表し、平和への希求と実現を呼びかけています。そして両者の間の空間を「現在」とし、常に平和を考えるラウンジとなっています。
協 力:株式会社 手塚プロダクション
制作協力:株式会社 志野陶石
結核のために防空壕に一人隔離されたまま、戦争が終わったことも知らずに飢えで死んでいった「ムッちゃん」。当時国民学校6年生。横浜で空襲にあい、母と弟が行方不明になって、大分市のおばの家に預けられていたことしかわかっていません。「ムッちゃん」の最期を伝える新聞記事が、大きな反響を呼びました。全国から寄せられた基金で、彫塑家村上炳人氏による「ムッちゃん平和像」が制作され、大分市の公園に設置されました。2005年4月のリニューアルにあたり、村上氏のご遺族のご厚意でその原像が本ミュージアムに寄託され、1階ラウンジに展示しています。制作者:村上炳人(むらかみへいじん)
ヒッポリテ・デルフォルさんは『アンネの日記』に感動し、1955年に開発した新種のバラに「アンネ・フランクの形見」と名付けました。1973年、アンネの父オットー・フランクさんから聖イエス会嵯峨野教会に送られた「アンネのバラ」が初めて花を開きました。その後、さし木で増やされた1本が、ここ国際平和ミュージアムの開館を記念して寄贈されました。
1954年3月1日、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験の犠牲となった第五福竜丸の無線長 久保山愛吉さん(同年9月23日没)と妻すずさん(1993年9月12日没)が生前に育てたバラ。愛吉さんは、「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい。」と遺言し、その意思を受け継いだすずさんも、「核兵器を一発残さずなくしてほしい。」と訴えました。この「愛吉・すずのバラ」は全人類に向けられた暴力にたいする抗議の象徴です。