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現代の課題

年表展示

1990 東欧再編とグローバルサウスにおける平和創造

東西冷戦体制の崩壊は民族、地域間の紛争の引金となりましたが、地球規模の環境問題、女性差別などに対して、国際社会全体で取り組む制度を整える機会にもなりました。

東欧革命 ~民主化への躍動 1989

冷戦期の東側諸国は、社会主義体制のため自由や人権を厳しく制限していました。1989年のベルリンの壁の崩壊をきっかけに、東ヨーロッパ諸国で自由や人権を求める声が急激に高まり、各国の社会主義政権は倒れます。社会主義のリーダーであったソ連は、その動きを容認しました。これら一連の出来事は東欧革命と呼ばれています。


多彩な国連PKO活動の展開~国連平和活動の活性化

国連平和維持活動(PKO)は当初、紛争当事国間に緩衝地帯を設け、停戦監視の機能を果たしていましたが、米ソ冷戦体制崩壊後の1990年代になると国内紛争の増加に伴い、停戦監視のみならず、平和の構築にも対応するようになりました。紛争終結後のカンボジア復興がその一つです。その後、PKOはソマリアや旧ユーゴのように紛争中の国々でも展開されるようになり、PKO要員の安全確保や北大西洋条約機構(NATO)の平和強制行動への過度な依存が課題となりました。

日本の国際貢献とは? 1992

冷戦終結後、国際平和活動が活発化するなかで、自衛隊も国連PKOなどに参加すべきという声が高まります。自衛隊は日本国憲法9条の下でその活動に厳しい制約がありますが、その制約とPKO参加とを調整する努力がなされ、国会内外での激論の末に、PKO等協力法が成立しました。この法律に基づいて、カンボジアに自衛隊が派遣されています。

コソボ紛争 1999

セルビア共和国(ユーゴスラビア連邦)コソボ自治州では、セルビア人とアルバニア人との根深い民族対立が武力紛争に至ります。さらに、セルビア人に虐殺されていたアルバニア人を保護するという名目で、1999年、NATOはセルビアを空爆しました。これは国連安全保障理事会の承認のない軍事行動でしたが、NATOは人道的介入として正当化しました。

対人地雷禁止条約 1999

対人地雷は、製造が容易で安価なため世界中で使用され、多くの死傷者を生んできました。その多くが民間人だったこともあり、非政府組織(NGO)等が地雷全廃を求め、条約は形成されました。兵器の全廃条約が形成された意義は大きく、クラスター弾に関する条約や核兵器禁止条約の形成過程にも影響を与えています。


湾岸戦争 ~多国籍軍と「正当化」された武力行使 1990-1991

イラクのクウェート侵攻に対し、アメリカ軍は精密誘導兵器による「ピン・ポイント攻撃」で防空網を破壊、反撃能力を奪うことでアメリカ兵の死者を抑え、学校や病院など非軍事目標を無差別爆撃して20万人以上のイラクの人びとを殺害しました。戦争を短期化して被害を矮小化し、アメリカ国内の世論の反発を抑えることに成功しましたが、イラクの被害は戦後に先送りされ、兵士は湾岸戦争症候群に苦しんでいます。湾岸戦争は、アメリカ軍を中心とした多国籍軍による武力行使でしたが、それは国連安全保障理事会が認めた行動でした。


香港・澳門返還 ~植民地の返還

香港はイギリス(大英帝国)の植民地としての道を歩んできましたが、1984年締結の英中共同声明に基づき、1997年7月1日、主権が中国に移されました。同じく澳門も1999年12月20日にポルトガルから中国へ主権が返還されます。両地域とも50年間は一国二制度により高度の自治を享受することになっていましたが、最近は北京政府の干渉を受け状況が変わりつつあります。


アフリカの地域紛争 ~台頭するグローバルサウス

冷戦後のアフリカ諸国では、民主化プロセスを経て政治的自由が拡大する国々が増えた一方で、深刻な地域紛争に苦しむ国々も少なからずみられました。21世紀に入ってからも国家崩壊の危機や多数の難民をもたらす紛争に対して近隣諸国・アフリカ連合・国際連合による度重なる調停が行われ、平和維持活動のための部隊が長期間にわたって派遣されてきたものの、紛争の解決には至っていません。

阪神淡路大震災 ~ボランティア元年に 1995.1.17

阪神淡路大震災被災者支援のためにいち早く集まった人たちによって、非営利団体『神戸元気村』が誕生しました。活動はその後の災害ボランティア活動の手本となっています。

地球サミット ~地球とともに生きるために 1992

国連環境開発会議は、開催地の名を取ってリオ会議とも呼ばれます。冷戦後の国際的課題として地球環境問題に取り組むために、持続可能な開発を目指す「リオ宣言」とそのための行動計画「アジェンダ21」、さらに2つの環境条約(国連気候変動枠組条約と生物多様性条約)が作成されました。

地球温暖化防止京都会議(COP3) 1997

国立京都国際会館で開催された第3回気候変動枠組条約締約国会議は、国内では地球温暖化防止京都会議と名づけられました。激しい議論の結果、この会議で採択された京都議定書は、先進国に対する温室効果ガスの削減義務や削減のための仕組み(京都メカニズム)の導入に成功しています。

男女共同参画社会基本法とジェンダーバックラッシュ 1999

性差別や性に起因する暴力の根絶、男女平等の実現を目指して制定されましたが、その反動として、保守派の政治家や市民がジェンダーフリー(男らしさ・女らしさからの解放)や子どもの人権を守るための性教育を攻撃するジェンダーバックラッシュが起きました。さらに基本法の理念に反した条例が策定されることもありました。

ハーグ平和アピール 1999

オランダのハーグで世界の平和NGOの会議が開催され、冷戦後の平和運動の一大結節点を築きました。会議を準備する過程で作成された「21世紀の平和と正義のためのハーグ・アジェンダ」に、会議の最終日に発表された「公正な世界秩序のための10の基本原則」の第1原則は日本国憲法9条に言及して戦争放棄を求めています。


2000 「人権の世紀」のはじまり

21世紀、多発するテロに対して武力で対抗し、武力紛争や対立の構造が一層複雑化します。

一方、過去の植民地支配、奴隷制の過ちを認め国際社会は和解への画期的な一歩を進めます。

人種主義・人種差別・排外主義および関連する不寛容に反対する世界会議(ダーバン会議) ~人種差別、奴隷制、植民地支配からの決別 2001

ダーバン会議は、冷戦後に世界各地で激化していた民族間の対立や武力抗争に取り組むため、アパルトヘイトを克服し民主化を遂げたばかりの南アフリカのダーバンで開催されました。このとき初めて、奴隷制や植民地主義が招いた不正義が本格的に議論され、清算されていない過去の問題があらためて確認されました。また、職業と生まれに基づく差別に対する議論も活性化し、日本の部落差別や南アジアのダリット差別も国際的に共有されました。

女性国際戦犯法廷   2000

日本軍「慰安婦」制度をめぐり、正義の実現のために開かれた民衆法廷で、松井やよりなど日本の女性たちが提案し、被害国の人びととの国際的な連携によって開催されました。被害者や加害者の証言、掘り起こされた軍公文書等の証拠資料に基づき、オランダ・ハーグでの最終判決は、昭和天皇らを有罪とし、日本政府の国家責任を認めました。しかし日本政府による被害女性への謝罪と完全な補償はいまだ行われておらず、判決の実現はグローバルな市民社会*の課題です。

世界社会フォーラム

経済中心のグローバル化がもたらす不平等、格差、環境破壊などの問題を批判して、社会運動家やNGOが世界中から集まって開催されました。民族、ジェンダー、宗教などの違いを越えて多様な人びとが意見を交すことで公正で平等な「もう一つの世界」の実現を目指します。各地の市民社会の活動と連動しながら、毎年続けられています。

国際刑事裁判所(ICC)の設立

国際刑事裁判所の構想は国連の活動開始と同時に始まり、世界中の法学者が議論を重ねて設立されました。「国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪」であるジェノサイド・人道に対する犯罪・戦争犯罪・侵略犯罪という4つの犯罪に関わった最も責任ある人の裁判を行っています。

アメリカのアフガニスタン攻撃 

アメリカ政府は「同時多発テロ」がアル・カイーダによって実行されたとして、指導者ビン・ラディンの引き渡しを拒んだアフガニスタンのタリバーン政権をNATO加盟国と共に攻撃し、崩壊させました。アフガニスタンでの「対テロ戦争」は20年にもおよび、その間ブッシュ、オバマ、トランプ、バイデンと大統領が変わりました。

イラク戦争反対運動 ~手を取りあう世界の市民

ジョージ・W・ブッシュ大統領はイラクには大量破壊兵器があるとして軍事攻撃の準備を進めますが、これに対し、攻撃中止を求める反戦運動は世界各地に広がりました。日本でも既存の平和運動に加え、若い世代がインターネットを駆使して、日米安保体制、自衛隊の機能拡大とアメリカ軍への協力のあり方を問いつつ、数万人規模のデモを成功させます。

九条の会発足 2004

九条の会は井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子ら、日本を代表する9人の知識人の呼びかけで始まりました。憲法9条擁護を通じて平和を追求する運動であり、日本各地の地域、職域、専門分野等で活動しています。

アメリカ金融危機 ~新自由主義の暴走 ― 人びとの憤り2008

2008年9月に大手投資銀行(証券会社)のリーマン・ブラザーズが破産、法的救済を申請し、これを皮切りに他の大手の投資銀行、商業銀行、保険会社の経営危機が続発します。これらはいずれも、住宅ローンのうち低所得者や返済能力の低い者への非優良貸付(サブプライム・ローン)に関わっていました。その背景には、2007年以降の住宅市場のバブル崩壊とサブプライム・ローンの返済悪化などがあり、国際的な経済不況を引き起こしました。


「アラブの春」の始まり ~ソーシャルメディアから広がる革命 2010

アラブ諸国では、民主化を求める運動が高まり、若者を中心にソーシャルネットワーク(SNS)などを通じて多くの人びとが大規模デモに参加しました。独裁体制下のチュニジア・リビア・エジプト・イエメンでは首相や大統領が辞任に追い込まれ、より開かれた民主的な政治への期待が高まりました。しかし暴力を伴う急激な政治的変化は大きな混乱も招き、シリアやイエメンでの内戦、エジプトでのより強固な権威主義体制の登場など、一般の人びとの生活が犠牲になる状況が続いています。

先住民族の権利に関する国際連合宣言 ~すべての民族が尊重されるために2007

国連総会は、独自の文化、言語、慣習を維持、発展させる権利を、先住民「個人」だけでなく、その「集団」に対しても認めました。先住民「個人」の権利を承認するとともに、先住民「集団」に自治をする権利や土地・資源に対する権利を認めましたが、独立する権利は認められていません。


東日本大震災 東京電力福島第一原子力発電所事故 2011.3.11

2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震により発生した津波で、福島第一原発の非常用電源が水没した結果、冷却水を失った核燃料が溶融して多量の放射能が放出され、16万人以上の人びとが避難しました。原発内部の高レベル放射性物質を取り出す見通しは立たず、多くの避難者の帰還を妨げています。


シリア難民~ヨーロッパへの難民

シリアでは、2011年にアサド独裁政権に対する反対運動を政府が武力制圧したことから内戦となりました。反政府勢力の対立や、過激派組織「IS(イスラム国)」の参戦により多数の人びとが死亡、または国内外に逃れて難民になるなど、人口の半分が犠牲になっています。多くのシリア難民はドイツなどヨーロッパ諸国にまで移動しましたが、反発を招いて難民を締め出す動きとなりました。アサド政権は現在もシリアの大半を支配していますが、北西部では武力衝突が続き、難民たちは先の見えない不安な生活を続けています。


SDGs 持続可能な開発目標 2015

国連サミットで全会一致で採択されました。前身である2000年採択のミレニアム開発目標(MDGs)が、1960年代来の「国連開発の10年」などの開発協力活動継承の意味ももっていたのに対して、SDGsは先進国も含めて「地球上の誰一人置き去りにしないこと、経済、社会、環境をめぐる課題を総合的に解決すること」を目指します。国家だけでなく、市民社会、個人が協働して取り組むことが求められていることに大きな特徴があります。

平和安全法制の成立(安全保障関連法)~自衛隊の役割拡大へ
2015

第2次安倍政権は、冷戦後最も大きな違憲とも批判される平和・安全保障政策の法的転換をしました。2014年、集団的自衛権*の限定的行使容認へと憲法解釈を変更し、翌年には、日米防衛協力の指針の改定とともに、自衛隊の活動範囲を拡大する平和安全法制(新安保法制)を成立させています。


南シナ海仲裁裁判所の裁定 ~資源をめぐる争い ― 海は誰のもの? 2016

南シナ海では中国、フィリピン、ベトナムなどの沿岸国の間で島々の領有権や海域に関する紛争が生じていましたが、2013年にフィリピンは中国を相手どり仲裁裁判に訴えます。中国は欠席しましたが、仲裁裁判所は2016年の判決で

❶中国の歴史的権利や主権的権利の主張(九段線)は国連海洋法 条約に違反し法的効果なし

❷係争地形は島ではなく岩

❸中国の海洋環境の保護義務違反などを確認しました。


核兵器禁止条約発効 ~核兵器廃絶への一歩 2017

国連総会で核兵器禁止条約が採択(2021年発効)されました。その背景には1990年代からの医師・法律家・科学者の国際的な協力がありました。同条約は、核兵器の開発、実験、製造、保有、移譲、使用、威嚇のすべてを禁止しましたが、核保有国は参加していません。今後、多くの国が条約を批准し、核保有国を包囲することが大切です。


新型コロナウイルス(COVID-19)感染症 ~自然界との共生 2019

コロナウイルスの突然変異によって中国の武漢市で発生した新型コロナウイルスは、世界中に感染が拡大しパンデミック(世界的流行)となりました。「ウイルスはパスポートをもたない」という表現があります。一国だけでの国境封鎖、厳しい検疫、ワクチンの買い占めではパンデミックの制圧は不可能であり、世界の人びとの連帯と協力が必要です。


2020 新しい世界秩序の追求

アジア、グローバルサウスとつながり

新しいもう一つの世界の可能性がみえてきました。

私たちは何を選び、誰と手を取り合って行動していくのでしょうか。


 

テーマ展示

人間の安全保障と国際平和

わたしたちの平和創造宣言!

人びとは世界を巻き込んだ二度の戦争を経験し、何度も暴力にさらされながら、一方でそれを防ぐ努力もしてきました。
国際平和は、国連など国際機関、政府、企業、市民社会など様々な役割をもった個人や組織が協力して実現することができます。平和創造へ向けて、あなたならどんな一歩を踏み出しますか?


人間の安全保障

「人間の安全保障」は、UNDP(国連開発計画)が「人間開発報告書」で1994年に初めて提唱した概念です。武力で領土を守るという国家中心の安全保障から転換し、開発などを通じて実現する、人間を中心とした新しい安全保障のあり方を提示しました。「人間一人ひとりが紛争や災害、感染症などの『恐怖』、そして食料や教育、医療など生きていく上で必要なものの『欠乏』から自由になり、尊厳を持って生きられる社会」を目指すという考え方です。


平和の基-理念で支える

私たちは戦争を起こしたり、暴力を目の前にしたりするたびに、平和とは何かを考え、平和をつくりあげる決意をしてきました。それは、憲章や宣言などに姿をかえて、平和をつくりあげていく土台になっています。


国際機構がつくる平和国際連合をはじめとした国際機関が担う責任と役割は、多様化しています。
  • 軍事力で領土を守り紛争を解決する国家の安全保障
  • 経済社会協力活動によって人びとの生存、尊厳を守る人間の安全保障
  • 地球環境も視野に入れた活動

 

紛争後の国づくり ~国連平和維持活動 (PKO)

1992年から1993年、カンボジアの内戦を解決するため、パリ和平協定に基づき、PKOとして国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が派遣されました。

武力紛争に決着をつけるために国連の管理下での選挙を実施し、停戦監視任務に留まらない新たなPKOとも言われます。軍人だけではなく多くの文民が参加し、公正で自由な選挙に向けて文民行政部門、文民警察部門、選挙部門、人権部門に加えて、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と連携した難民帰還部門、復興部門も設けられ幅広い支援を行いました。

戦争犯罪を裁く ~国際刑事裁判所(ICC)の役割

ICCは国際社会全体が関心をもつ「最も重大な犯罪」を犯した個人を訴追、処罰する国際刑事法廷です。2012年、イスラム過激派がマリの都市トゥンブクトゥを占拠した際、霊廟やモスクを破壊しました。自ら破壊行為を認めたマリ人のアハマド・ファキ・アルマハディに対し、2015年禁錮9年の有罪判決が下されました。武力紛争下の文化財保護については国際条約でも定められています。判決は宗教施設や歴史的建造物などの文化財を破壊することも、重大な戦争犯罪であることを伝えています。

武力紛争を予防する

武力紛争が起こりそうな状況をいち早く察知し、国際機構が介入するという「武力紛争予防」の考え方が冷戦後に広まっています。1993年ソ連から独立したエストニアで、ロシア政府の支持を得てエストニアから分離独立しようとしたロシア系住民と、それを阻止しようとした政府との間で武力紛争の危機が生じました。その際CSCE(欧州安全保障協力会議)の少数民族高等弁務官マックス・ファン・デア・ストールが介入し、双方に働きかけて武力紛争は回避されました。こうした国際機構の早期介入による武力紛争予防を普及させていく必要があります。

持続可能な社会のために ~国連開発計画(UNDP)

国連開発計画(United Nations Development Programmer)は、貧困や格差、気候変動といった不公正に終止符を打つために闘う国連の主要機関です。170カ国で、人間と地球のために総合的かつ恒久的な解決方法を築きあげようと、様々な専門家や連携機関からなる幅広いネットワークを通じ支援を行っています。

●「国家にとっての真の宝は人々である」という信念に基づき、人々や国々の能力を育てる活動を実施

●世界各国でSDGsを国別の開発計画や政策に組み込む包括的な支援に取り組む

●6分野の活動の柱を通じ、各国政府に対し政策提言、技術支援、資金、支援プログラムを提供

●1990年から刊行している「人間開発報告書」は世界の開発に関する議論に大きな影響力をもつ


市民社会の力

市民社会=NGOの平和のつくり方は大きく2つに分けることができます。国内の議会や国際機構に働きかけて国内的あるいは国際的な政策形成に影響を与えようとするアドボカシー(政策提言)型NGOによる活動と、紛争地などの現場に入っていきそこで平和をつくろうとするフィールド(実働)型NGOの実践です。また、社会的責任を負った企業など民間セクターのとりくみもあります。市民社会は私たち一人ひとりが構成員であり、多くの可能性を秘めています。