東南アジアの占領と動員

戦争の資源を求めて 1942

日本は軍需資源を求めて、1941年12月8日のマレー半島上陸から2カ月余りでシンガポールまで占領しました。1942年にはオランダ領東インド(現インドネシア)やフィリピン、ビルマ(現ミャンマー)を占領し、日本と同盟・協調関係にあった地域を除き東南アジアのほぼすべてが日本軍の占領下に入ります。日本軍は朝鮮人や台湾人、台湾の先住民などを軍属や監視役にし、さらにインドネシア人を「兵補」として動員して占領統治を補助させました。

1942ねん、とうなんアジアのせんりょうとどういん  センソウノシゲンヲモトメテ、  にほんは、グンジュシゲンヲモトメテ、1941ねん、12がつ、ようかの、マレーハントウジョウリクカラ、にカゲツアマリデ、シンガポールまでセンリョウシマシタ。1942ねんには、オランダリョウ、ひがしインドや、フィリピン、ビルマを、せんりょうし、ニホントドウメイ、キョウチョウカンケイニアッタチイキヲノゾキ、とうなんアジアのほぼすべてが、ニホングンノセンリョウカニはいります。ニホングンは、チョウセンジンヤ、タイワンジン、タイワンノセンジュウミンナドヲ、グンゾクヤ、カンシヤクニシ、さらに、インドネシアジンを、「ヘイホ」として、ドウインシテ、センリョウトウチヲホジョサセマシタ。

年表展示(1941年 アジア太平洋戦争と人びとの動員)