女性たちの銃後と戦場 1945
英米ソの連合国では女性兵士が動員されますが、日独伊の枢軸国では女性は「産む性」と位置づけられ、なかでも日本では、既婚女性は女性団体での兵士の支援、未婚女性は軍属や勤労動員で奉仕すると分けられていました。しかし、戦局の悪化した1945年に設けられた義勇兵役法や国民義勇戦闘隊では、女性も兵士となるよう求められ、国民は憲法の兵役義務は男女の義務だったことを初めて知ることになります。
英米ソの連合国では女性兵士が動員されますが、日独伊の枢軸国では女性は「産む性」と位置づけられ、なかでも日本では、既婚女性は女性団体での兵士の支援、未婚女性は軍属や勤労動員で奉仕すると分けられていました。しかし、戦局の悪化した1945年に設けられた義勇兵役法や国民義勇戦闘隊では、女性も兵士となるよう求められ、国民は憲法の兵役義務は男女の義務だったことを初めて知ることになります。