戦線の拡大と中国の抵抗

日本の侵略を止めるために 1937

日中戦争が始まると、中国は国際連盟に日本の不当性を訴えるなど多国間連携の努力を重ねました。またソ連とも不可侵条約を結んで提携を深め、国民党と共産党は抗日民族統一戦線の結成に踏み切りました(第二次国共合作)。中国は首都を南京から武漢、その後は重慶に移し抗日戦争を続けました。日本が何度も繰り返した重慶爆撃は、アジアで最初の都市における無差別爆撃と言われています。

1937ねん、センセンノカクダイト、チュウゴクノテイコウ   ニホンノシンリャクヲ、トメルタメニ  ニッチュウセンソウガハジマルト、チュウゴクは、コクサイレンメイニ、ニホンノフトウセイヲウッタエルナド、タコクカンレンケイノ、どりょくをかさねました。また、ソレントモ、フカシンジョウヤクヲムスンデ、テイケイヲフカメ、コクミントウト、キョウサントウワ、コウニチミンゾクトウイツセンセンのけっせいに、ふみきりました。これを、ダイニジコッキョウガッサクといいます。ちゅうごくは、シュトをナンキンから、ブカン、そのあとは、ジュウケイにうつし、コウニチセンソウをつづけました。にほんが、なんどもくりかえした、ジュウケイバクゲキは、アジアでさいしょの、としにおける、ムサベツバクゲキといわれています。

年表展示(1937年 日中戦争と戦火の拡大)