戦争のはじまりと南京戦

局地的衝突から全面戦争へ 1937

1937年7月7日に盧溝橋事件が勃発すると、日本は戦争不拡大を決める一方で師団増派を実施し、戦争は華北から上海などに広がっていきました。さらに日本軍は首都の南京を占領しますが、多数の住民と捕虜を虐殺し、国際的な非難をあびます。日本は反ソ連反共産主義戦略のもとドイツ・イタリアといったファシズム諸国との連携を深めて英米を牽制し、日中戦争による満蒙問題の解決を目指していました。

1937ねん、せんそうのはじまりとなんきんせん    きょくちてきしょうとつから、ぜんめんせんそうへ、  1937ねん、ナナガツナノカに、ロコウキョウジケンがぼっぱつすると、にほんは、せんそうふかくだいをきめるいっぽうで、シダンゾウハをじっしし、せんそうは、カホクからシャンハイなどにひろがっていきました。さらににほんぐんは、シュトノナンキンヲセンリョウシマスガ、たすうのじゅうみんと、ほりょをぎゃくさつし、こくさいてきなひなんをあびます。にほんは、はんソれん、ハンキョウサンシュギせんりゃくのもと、ドイツ、イタリアといった、ファシズムしょこくとのれんけいをふかめて、エイベイをけんせいし、ニッチュウセンソウニヨル、マンモウモンダイノカイケツヲメザシテイマシタ。

年表展示(1937年 日中戦争と戦火の拡大)