国語常用運動と創氏改名(改姓名)

皇民化政策 1937

日本の植民地では、日中戦争前後から皇民化政策が強化されていきました。朝鮮や台湾では国語常用運動など日本語使用のさらなる推進が図られ、日本の家制度に即した氏名への変更を促す「創氏改名」「改姓名」政策が実施されます。また朝鮮では「内鮮一体」のスローガンのもと皇国臣民の誓詞(1937年)が制定され、学校や職場で繰り返し斉唱することが求められました。

1937ねん、コクゴジョウヨウウンドウト、ソウシカイメイ、カイセイメイ   コウミンカセイサク、  ニホンノショクミンチデは、ニッチュウセンソウゼンゴカラ、コウミンカセイサクガ、キョウカサレテイキマシタ。チョウセンヤ、タイワンデは、コクゴジョウヨウウンドウナド、ニホンゴシヨウノサラナルスイシンガハカラレ、ニホンノイエセイドニソクシタ、シメイエノヘンコウヲウナガス、ソウシカイメイ、カイセイメイ、セイサクガジッシサレマス。また、チョウセンデは、「ナイセンイッタイ」のスローガンのもと、1937ねんに、コウコクシンミンノセイシガセイテイサレ、ガッコウヤ、ショクバデ、クリカエシ、セイショウスルコトガモトメラレマシタ。

年表展示(1937年 日中戦争と戦火の拡大)