満洲事変と関東軍

戦争への熱狂的な支持 1931

1927年の山東出兵や翌年の張作霖爆殺事件など日本軍の軍事行動が相次ぎ、1931年には柳条湖付近の鉄道爆破事件(柳条湖事件)が起きました。中国に駐留する関東軍の謀略であることが伏せられたまま日本は満洲各地を軍事占領し、翌年には満洲国を建国します。関東大震災や世界恐慌で経済的に疲弊していた日本では、これら軍事行動の拡大がもたらす軍需景気を歓迎し、軍隊を支持する空気が広がっていきました。

1931ねん、まんしゅうじへんと、かんとうぐん   せんそうへの、ねっきょうてきな、しじ  1927ねんの、さんとうしゅっぺいや、よくねんの、ちょうさくりんばくさつじけんなど、にほんぐんのぐんじこうどうが、あいつぎ、1931ねんには、りゅうじょうこふきんのてつどうバクハじけんが、おきました。ちゅうごくにちゅうりゅうする、かんとうぐんのぼうりゃくであることが、ふせられたまま、にほんは、まんしゅうかくちをぐんじせんりょうし、よくねんには、まんしゅうこくを、けんこくします。かんとうだいしんさいや、せかいきょうこうで、けいざいてきにひへいしていた、にほんでは、これらぐんじこうどうのかくだいがもたらす、ぐんじゅけいきをかんげいし、ぐんたいをしじする、くうきがひろがっていきました。

年表展示(1931年 満州事変とファシズムの席捲)