日本軍と生物化学兵器

「科学」の名のもとに

関東軍は1936年から1945年にかけて、細菌兵器の開発を目的に満洲各地で人体実験を繰り返しました。関東軍防疫給水部(通称731部隊)の人体実験では、「丸太」や「猿」と呼ぶ中国人捕虜をペスト菌やコレラ菌に感染させたり、凍傷実験などを行っていました。人体実験で開発された731部隊の細菌兵器は、その後実際の戦場でも使用されています。これ以前にも日本軍は1920年代後半から毒ガスも製造しており、台湾の霧社事件や日中戦争で実際に使用しました。

ニホングント、セイブツカガクヘイキ  カガクノナノモトニ カントウグンワ、1936ネンカラ1945ネンニカケテ、サイキンヘイキノカイハツヲモクテキニ、マンシュウカクチデ、ジンタイジッケンヲクリカエシマシタ。カントウグンボウエキキュウスイブ、ツウショウナナサンイチブタイノジンタイジッケンデワ、「マルタ」ヤ、「サル」トヨブ、チュウゴクジンホリョヲ、ペストキンや、コレラキンニカンセンサセタリ、とうしょうじっけんなどを、おこなっていました。じんたいじっけんでカイハツされた、ナナサンイチぶたいのさいきんへいきは、そのご、じっさいのせんじょうでも、しようされています。これいぜんにも、にほんぐんは、1920ねんだいこうはんから、どくガスもせいぞうしており、たいわんの、ムシャじけんや、にっちゅうせんそうで、じっさいにしようしました。

年表展示(1931年 満州事変とファシズムの席捲)