第一次世界大戦と日本

未曽有の大量殺戮 1914-1918

ボスニアで起きたオーストリア皇太子暗殺事件をきっかけに、オーストリア=ハンガリー・ドイツ・オスマン帝国などの同盟国側とロシア・イギリス・フランスなどの協商国(連合国)側との間で戦争が始まりました。日米の参戦や植民地からの動員などにより、戦場はヨーロッパからアフリカ、中東、アジアにまで広がり、世界大戦となります。戦争では戦車・航空機・潜水艦による爆撃、毒ガスや強力な爆薬など近代技術が本格的に用いられたことで、軍人のみならず民間人にも多大な被害を出しました。

1914ねんから1918ねん、だいいちじせかいたいせんとにほん みぞうのたいりょうさつりく、  ボスニアでおきた、オーストリアこうたいしあんさつじけんをきっかけに、オーストリア=ハンガリー、ドイツ、オスマンていこくなどの、ドウメイコクがわと、ロシア、イギリス、フランスなどの、きょうしょうこく、つまり、れんごうこくがわとのあいだで、せんそうがはじまりました。にちべいのさんせんや、しょくみんちからの、どういんなどにより、せんじょうは、ヨーロッパからアフリカ、ちゅうとう、アジアにまでひろがり、せかいたいせんとなります。せんそうでは、せんしゃやこうくうき、または、せんすいかんによるばくげき、どくガスや、きょうりょくなばくやくなど、きんだいぎじゅつがほんかくてきにもちいられたことで、ぐんじんのみならず、みんかんじんにも、ただいなひがいをだしました。

年表展示(1914年 第一次世界大戦と戦後の変化)