民族自決とアジアの民族運動

独立への期待と失望 1919

1910年代から1920年代にかけては、植民地の人びとにとって新しい時代の始まりでした。ロシア革命による社会主義国の成立は新しい国家のあり方として注目され、アメリカのウィルソン大統領による民族自決の提唱は植民地でのナショナリズムの動きを広めました。列強の植民地であったアジアでは、欧米へ留学したり植民地官僚として養成された現地の青年が共産主義などの新しい考えを吸収し、ガンディーやホーチミンのように民族自決の運動を担っていきました。

1919ねん、みんぞくじけつとアジアのみんぞくうんどう どくりつへのきたいとしつぼう、  1910ねんだいから、1920ねんだいにかけては、しょくみんちの、ひとびとにとって、あたらしいじだいのはじまりでした。ロシアかくめいによる、しゃかいしゅぎこくのせいりつは、あたらしいこっかのありかたとして、ちゅうもくされ、アメリカの、ウィルソンだいとうりょうによる、みんぞくじけつのていしょうは、しょくみんちでの、ナショナリズムのうごきをひろめました。れっきょうの、しょくみんちであったアジアでは、おうべいへりゅうがくしたり、しょくみんち、かんりょうとして、ようせいされたげんちのせいねんが、きょうさん、しゅぎなどの、あたらしいかんがえをきゅうしゅうし、ガンディーや、ホーチミンのように、ミンゾクジケツノウンドウを、になっていきました。

年表展示(1914年 第一次世界大戦と戦後の変化)