国際協調体制

戦争違法化を目指して 1919

戦争の惨禍は平和への志向をもたらします。第一次世界大戦の講和条約・ベルサイユ条約では、戦争という手段に訴えず国際紛争を平和的に解決するために、国際連盟という国際機関が作られました。また1922年のワシントン会議と1930年のロンドン会議で、海軍軍縮を目的とした条約が採択されました。さらに1925年にはロカルノ条約、1928年にパリ不戦条約が締結され、これまで合法とされてきた戦争行為が国際法的に禁止される画期となりました。

1919ねん、こくさいきょうちょうたいせい せんそういほうかをめざして、  せんそうのさんかは、ヘイワへのしこうをもたらします。だいいちじせかいたいせんの、こうわじょうやくである、ベルサイユじょうやくでは、せんそうという、しゅだんにうったえず、こくさいふんそうを、ヘイワてきにかいけつするために、こくさいれんめいという、こくさいきかんがつくられました。また、1922ねんのワシントンかいぎと、1930ねんのロンドンかいぎで、かいぐんぐんしゅくをもくてきとした、じょうやくがさいたくされました。さらに、1925ねんには、ロカルノじょうやく、1928ねんに、パリふせんじょうやくがていけつされ、これまでごうほうとされてきた、せんそうこういが、こくさいほうてきに、きんしされるかっきとなりました。

年表展示(1914年 第一次世界大戦と戦後の変化)