義和団戦争

「扶清滅洋」を掲げて 1900

日清戦争の対日賠償金を清国が列強から借り入れたため、列強は清国への経済的進出を強めます。これに対し山東省では「扶清滅洋(清朝を助けて西洋を討ち滅ぼす)」をとなえる義和団が勢力を強め、北京の各国公使館を包囲しました。清国政府は義和団と協力して連合軍を攻撃しましたが、増強された連合軍は北京を占領し、義和団を排除します。1901年、清国は列国と「北京議定書」を締結、多額の賠償金を支払うとともに各国に華北各所の駐兵権を認めました。

1900ねん、ぎわだんせんそう フシンメツヨウをカカゲテ、 にっしんせんそうの、たいにちばいしょうきんを、しんこくが、れっきょうからかりいれたため、れっきょうは、しんこくへの、けいざいてきしんしゅつを、つよめます。これにたいし、さんとうしょうでは、「ふしんめつよう、つまり、せいちょうをたすけて、せいようを、うちほろぼすことをとなえる、ぎわだんが、せいりょくをつよめ、ぺきんの、かっこくこうしかんを、ほういしました。しんこくせいふは、ぎわだんと、きょうりょくして、れんごうぐんをこうげきしましたが、ぞうきょうされた、れんごうぐんは、ぺきんをせんりょうし、ぎわだんを、はいじょします。1901ねん、しんこくは、れっこくと、「ぺきんぎていしょ」をていけつ、たがくの、ばいしょうきんを、しはらうとともに、かっこくに、かほくかくしょの、ちゅうへいけんをみとめました。

年表展示(1894年 帝国日本の形成)