日清戦争と朝鮮・台湾

アジアにおける植民地帝国の誕生 1894-1895

1894年、朝鮮で甲午農民戦争が起こると、日清両国は朝鮮に派兵します。しかし鎮静後も日本は撤兵を拒み、朝鮮王宮を占領、さらに清国軍を攻撃して日清戦争を始めました。再蜂起した東学農民軍を鎮圧した日本軍は優勢のうちに朝鮮から清国領土内に侵入し、翌年4月、下関条約が結ばれて講和が成立します。日本は賠償金の獲得に加え、台湾・澎湖諸島などを領土としたことで、アジアにおける初めての植民地帝国となりました。

1894ねんから1895ねん、にっしんせんそうと、ちょうせん、たいわん、 アジアにおける、しょくみんちていこくのたんじょう、  センハッピャクキュウジュウヨねん、ちょうせんで、こうごのうみんせんそうがおこると、にっしんりょうこくは、ちょうせんに、ハヘイします。しかし、ちんせいごも、にほんは、てっぺいをこばみ、ちょうせんおうきゅうを、せんりょう、さらに、しんこくぐんを、こうげきして、にっしんせんそうをはじめました。さいほうきした、とうがくのうみんぐんをちんあつした、にほんぐんは、ゆうせいのうちに、ちょうせんから、しんこくりょうどないに、しんにゅうし、ヨクネンシガツ、しものせきじょうやくが、むすばれて、こうわがせいりつします。にほんは、ばいしょうきんの、かくとくにくわえ、たいわんの、ほうこしょとうなどを、りょうどとしたことで、アジアにおける、はじめてのしょくみんちていこくと、なりました。

年表展示(1894年 帝国日本の形成)