蝦夷地・小笠原島・琉球の領有化

国境線を引き直す 1869/1876/1879

近代化は、他者の土地を領土や植民地として抱え込む帝国化の歩みでもありました。明治政府は1869年に蝦夷地を、1876年に小笠原島を、1879年に琉球を正式に編入します(琉球処分)。清国との琉球分割交渉やロシアとの千島列島・樺太をめぐる領土争いが国と国との間で繰り広げられましたが、これらの土地の住人であるアイヌや沖縄の人びとの存在は無視されていました。

センハッピャクロクジュウキュウネン、センハッピャクナナジュウロクネン、センハッピャクナナジュウキュウネン、エゾチ、オガサワラジマ、リュウキュウノリョウユウカ、コッキョウセンヲヒキナオス、   キンダイカは、タシャノトチヲ、リョウドヤ、ショクミンチトシテカカエコム、テイコクカノアユミデモアリマシタ。メイジセイフは、センハッピャクロクジュウキュウネンニエゾチヲ、センハピャクナナジュウロクネンニオガサワラジマヲ、センハピャクナナジュウキュウネンニリュウキュウヲ、リュウキュウショブンニヨリ、セイシキニヘンニュウシマス。シンコクトノ、リュウキュウブンカツコウショウヤ、ロシアトノ、チシマレットウト、カラフトヲメグルリョウドアラソイガ、クニト、クニトノアイダデクリヒロゲラレマシタガ、コレラノトチノジュウニンデアルアイヌヤ、オキナワノヒトビトノソンザイワムシサレテイマシタ。

年表展示(1840年 近代日本の出発)