サハリン島(樺太島)の樺太アイヌをはじめとする様々な民族は、樺太・千島交換条約や20世紀前半の三度の戦争(日露戦争・シベリア戦争・日ソ戦争)の結果、日本とロシアの間で何度も国境線が移動したことで、たびたび移住と追放を余儀なくされました。1905年のポーツマス条約でサハリン島の北緯50度線以南が割譲されたことで、日本の植民地・南樺太が成立しました。日本は同地のロシア住民をほとんど追放して、新たに日本人や朝鮮人を移住させました。同地では漁業、パルプ・製紙業、石炭業などが発展し、居住人口は最盛期には約40万人に達しました。
- エリア 帝国主義
- テーマ 帝国日本の植民地・占領地
- 解説TOP ■ 南樺太 繰り返された民族の移住と追放
移住と追放の地
イジュウト、ツイホウノチ
サハリントウノ、カラフトアイヌヲハジメトスル、サマザマナミンゾクハ、カラフト・チシマコウカンジョウヤクヤ、ニジュッセイキゼンハンノ、ニチロセンソウヤ、シベリアセンソウ、マタハ、ニチソセンソウ、トイッタ、サンドノセンソウノケッカ、ニホントロシアノアイダデ、ナンドモ、コッキョウセンガイドウシタコトデ、タビタビ、イジュウト、ツイホウヲ、ヨギナクサレマシタ。1905ネンノポーツマスジョウヤクデ、サハリントウノ、ホクイ50ドセンイナンガ、カツジョウサレタコトデ、ニホンノ、ショクミンチ、ミナミカラフトガ、セイリツシマシタ。ニホンハ、ドウチノロシアジュウミンヲ、ホトンドツイホウシテ、アラタニ、ニホンジンヤ、チョウセンジンヲイジュウサセマシタ。ドウチデハ、ギョギョウヤパルプ・セイシギョウ、オヨビ、セキタンギョウナドガハッテンシ、キョジュウジンコウワ、サイセイキニワ、ヤク、40マンニンニタッシマシタ。