1945年の日ソ戦争で南樺太はソ連の軍事支配下に置かれました。同地から大多数の日本人や少数民族などが追放された一方で、朝鮮人の多くは戦後も長らく残留を余儀なくされました。また1951年のサンフランシスコ平和条約で日本は南樺太の領有権を放棄しました。樺太アイヌの人びとは未だに自分たちの先住地に戻れない状況が続いています。
- エリア 帝国主義
- テーマ 帝国日本の植民地・占領地
- 解説TOP ■ 南樺太 繰り返された民族の移住と追放
サハリン島の戦後
サハリントウノ、センゴ。
センキュウヒャクヨンジュウゴネンノ、ニチソセンソウデ、ミナミカラフトワ、ソレンノグンジシハイカニオカレマシタ。ドウチカラ、ダイタスウノニホンジンヤ、ショウスウミンゾクナドガ、ツイホウサレタイッポウデ、チョウセンジンノオオクワ、センゴモナガラク、ザンリュウヲヨギナクサレマシタ。マタセンキュウヒャクゴジュウイチネンノ、サンフランシスコヘイワジョウヤクデ、ニホンワ、ミナミカラフトノ、リョウユウケンヲ、ホウキシマシタ。カラフトアイヌノヒトビトワ、イマダニジブンタチノセンジュウチニモドレナイジョウキョウガ、ツヅイテイマス。