朝鮮半島の植民地化

1910年の韓国併合条約以降、朝鮮総督府は土地調査事業を進め、所有権があいまいな土地や村の共有地を官有地とし、朝鮮人農民の多くは土地の払い下げを受けた日本人地主などの小作農になりました。日本は19世紀末から慢性的に米不足だったため、総督府は1920年以降、朝鮮産米増殖計画を進めました。しかし、増産分以上の米が日本に移出されたことや、肥料代の重い負担などから生活が困窮し、土地を離れ日本や満洲に移住する朝鮮人農民が増加しました。また1930年代以降になると、日本企業を中心に化学工業や繊維業など工業化が進められ、朝鮮半島は帝国日本を支える役割が期待されました。

チョウセンハントウノ、ショクミンチカ。 センキュウヒャクジュウネンノカンコクヘイゴウジョウヤクイコウ、チョウセンソウトクフハ、トチチョウサジギョウヲススメ、ショユウケンガアイマイナトチヤ、ムラノキョウユウチヲ、カンユウチトシ、チョウセンジンノウミンノオオクハ、トチノハライサゲヲウケタ、ニホンジンジヌシナドノコサクノウニナリマシタ。ニホンハ、ジュウクセイキマツカラ、マンセイテキニコメブソクダッタタメ、ソウトクフハ、センキュウヒャクニジュウネンイコウ、チョウセンサンマイゾウショクケイカクヲ、ススメマシタ。シカシ、ゾウサンブンイジョウノコメガ、ニホンニイシュツサレタコトヤ、ヒリョウダイノ、オモイフタンナドカラ、セイカツガコンキュウシ、トチヲハナレ、ニホンヤ、マンシュウニイジュウスル、チョウセンジンノウミンガゾウカシマシタ。マタ、センキュウサンジュウネンダイイコウニナルト、ニホンキギョウヲチュウシンニ、カガクコウギョウヤ、センイギョウナド、コウギョウカガススメラレ、チョウセンハントウハ、テイコクニホンヲササエルヤクワリガ、キタイサレマシタ。

テーマ展示(■ 朝鮮 祖国を奪われた人びと)