植民地の開発

第一次世界大戦に参戦した日本は、赤道以北のドイツ領ミクロネシアを「南洋群島」と名づけて占領し、1922年からはパラオに南洋庁を置いて国際連盟の委任統治領として統治しました。最初に大規模な開発が行われたのはサイパン・テニアン・ロタです。半官半民の南洋興発株式会社がこれらの島を台湾に次ぐ砂糖の島に変貌させました。1930年代半ば以降は、国策会社の南洋拓殖株式会社が資源豊かな東南アジアに近接するパラオを「南進」の拠点とする開発を進めました。

ショクミンチノカイハツ。 ダイイチジセカイタイセンニ、サンセンシタニホンワ、セキドウイホクノ、ドイツリョウ、ミクロネシアヲ、「ナンヨウグントウ」ト、ナヅケテセンリョウシ、センキュウヒャクニジュウニネンカラワ、パラオニ、ナンヨウチョウヲオイテ、コクサイレンメイノ、イニントウチリョウトシテ、トウチシマシタ。サイショニ、ダイキボナカイハツガオコナワレタノハ、サイパンヤ、テニアン、オヨビ、ロタデス。ハンカンハンミンノ、ナンヨウコウハツカブシキガイシャガ、コレラノシマヲタイワンニツグ、サトウノシマニヘンボウサセマシタ。1930ネンダイナカバイコウハ、コクサクガイシャノ、ナンヨウタクショクカブシキガイシャガ、シゲンユタカナ、トウナンアジアニキンセツスル、パラオヲ、「ナンシン」ノキョテントスル、カイハツヲススメマシタ。

テーマ展示(■ 南洋群島 帝国支配に翻弄された島々)