支配と被支配のはざまで

1942年当時、南洋群島には現地住民5万2000人、日本人8万6000人、朝鮮人6000人、外国人98人がくらし、日本人のうち5万人は沖縄出身者でした。南洋興発が甘蔗栽培に慣れた沖縄出身者を積極的に募集したからです。次第に「一等国民 内地人、二等 沖縄人、三等 朝鮮人、四等 島民(現地住民)」とする見方が広まり、沖縄と朝鮮の人びとは差別されつつ差別する複雑な立場に置かれました。1944年には日米両軍が群島全域を戦場にしたため、多くの人が犠牲になりました。

シハイト、ヒシハイノハザマデ。 センキュウヒャクヨンジュウニネントウジ、ナンヨウグントウニハ、ゲンチジュウミン、ゴマンニセンニン、ニホンジン、ハチマンロクセンニン、チョウセンジン、ロクセンニン、ガイコクジン、キュウジュウハチニンガ、クラシ、ニホンジンノウチ、ゴマンニンハ、オキナワシュッシンシャデシタ。ナンヨウコウハツガ、カンショサイバイニナレタ、オキナワシュッシンシャヲ、セッキョクテキニ、ボシュウシタカラデス。シダイニ、イットウコクミン 、ナイチジン、ニトウ、オキナワジン、サントウ、チョウセンジン、ヨントウ、トウミンツマリ、ゲンチジュウミントスル、ミカタガヒロマリ、オキナワト、チョウセンノヒトビトワ、サベツサレツツ、サベツスル、フクザツナタチバニ、オカレマシタ。センキュウヒャクヨンジュウヨネンニワ、ニチベイリョウグンガ、グントウゼンイキヲセンジョウニシタタメ、オオクノヒトガ、ギセイニナリマシタ。

テーマ展示(■ 南洋群島 帝国支配に翻弄された島々)