日本は台湾を農産物、とくに砂糖の生産地として期待しました。日本の資本家が中心となり、台湾製糖株式会社などの近代的設備をもつ製糖会社を台湾各地に設立しました。台湾総督府は補助金を与えたり、台湾人農民が作った甘蔗(さとうきび)を安く買える仕組みを作るなどして製糖会社を支援しました。砂糖の生産量は急速に増え、日本が外国から砂糖を輸入する必要がなくなるほど、その多くが日本内地へと移出されていきました。
- エリア 帝国主義
- テーマ 帝国日本の植民地・占領地
- 解説TOP ■ 台湾 半世紀におよぶ日本統治時代
砂糖にみる植民地の収奪
サトウニミル、ショクミンチノシュウダツ。
ニホンワ、タイワンヲノウサンブツ、トクニ、サトウノセイサンチトシテ、キタイシマシタ。ニホンノシホンカガチュウシントナリ、タイワンセイトウカブシキガイシャナドノ、キンダイテキセツビヲモツ、セイトウガイシャヲ、タイワンカクチニセツリツシマシタ。タイワンソウトクフワ、ホジョキンヲアタエタリ、タイワンジンノウミンガツクッタ、サトウキビヲヤスクカエルシクミヲツクルナドシテ、セイトウガイシャヲシエンシマシタ。サトウノセイサンリョウワ、キュウソクニフエ、ニホンガガイコクカラサトウヲユニュウスルヒツヨウガナクナルホド、ソノオオクガ、ニホンナイチヘトイシュツサレテイキマシタ。