満蒙開拓団は、過剰人口に苦しむ日本農村の救済策として、あるいは満洲国の国防・食糧増産など多様な政策意図のもと国策として推進されました。村ぐるみの分村移民が奨励され、日本全国の村から移民が送出されています。入植地では、日本人移民が地主として中国人を使役する立場になりました。しかし、敗戦前後にはソ連軍の攻撃など現地の混乱もあり約8万人が亡くなりました。また、推定で1万人を超える中国残留孤児・残留婦人と呼ばれる人びとを生み出すことになりました。
- エリア 帝国主義
- テーマ 帝国日本の植民地・占領地
- 解説TOP ■ 満州 「王道楽土」「民族協和」の現実
満蒙開拓団
マンモウカイタクダン。
マンモウカイタクダンワ、カジョウジンコウニクルシム、ニホンノウソンノ、キュウサイサクトシテ、アルイハ、マンシュウコクノ、コクボウ、マタハ、ショクリョウゾウサンナド、タヨウナセイサクイトノモト、コクサクトシテ、スイシンサレマシタ。ムラグルミノ、ブンソンイミンガショウレイサレ、ニホンゼンコクノムラカラ、イミンガソウシュツサレテイマス。ニュウショクチデハ、ニホンジンイミンガ、ジヌシトシテ、チュウゴクジンヲ、シエキスルタチバニナリマシタ。シカシ、ハイセンゼンゴニワ、ソレングンノコウゲキナド、ゲンチノコンランモアリ、ヤク、8マンニンガ、ナクナリマシタ。マタ、スイテイデ、1マンニンヲコエル、チュウゴクザンリュウコジヤ、ザンリュウフジントヨバレルヒトビトヲ、ウミダスコトニナリマシタ。