東南アジアではすでに20世紀初頭から、欧米の植民地支配からの解放を求めて、独立運動が開始されます。第一次世界大戦後の「民族自決」の機運のなかでは、自治や脱植民地化にむけた一定の進展もみられました。このように長年続けられた民族独立運動の延長線上に、1943年に日本もフィリピンとビルマ(ミャンマー)に形式的な「独立」を認めざるを得なくなりました。日本の占領下では、将軍アウンサン率いるビルマ国軍など、東南アジア各地で日本への協力と抵抗のはざまで、真の「独立」が模索され続けていました。
- エリア 帝国主義
- テーマ 帝国日本の植民地・占領地
- 解説TOP ■ 東南アジア 「大東亜共栄圏」終わらない支配と収奪
「独立」を求め続けて
ドクリツヲ、モトメツヅケテ。
トウナンアジアデワ、スデニ、ニジュッセイキショトウカラ、オウベイノ、ショクミンチシハイカラノ、カイホウヲモトメテ、ドクリツウンドウガ、カイシサレマス。ダイイチジセカイタイセンゴノ、「ミンゾクジケツ」、ノキウンノナカデハ、ジチヤ、ダツショクミンチカニムケタ、イッテイノシンテンモミラレマシタ。コノヨウニ、ナガネンツヅケラレタ、ミンゾクドクリツウンドウノエンチョウセンジョウニ、センキュウヒャクヨンジュウサンネンニ、ニホンモ、フィリピント、ビルマニ、ケイシキテキナ、「ドクリツ」ヲ、ミトメザルヲエナクナリマシタ。ニホンノセンリョウカデハ、ショウグン、アウンサンヒキイル、ビルマコクグンナド、トウナンアジアカクチデ、ニホンヘノ、キョウリョクト、テイコウノハザマデ、シンノ「ドクリツ」ガ、モサクサレツヅケテイマシタ。